ボクが東京に上京した年、六本木ヒルズは完成した。
ボクが行く少しまえに完成していた。
ある日、SMAPの香取くんが、完成したばかりの六本木ヒルズからテレビ中継をしていた記憶がぼんやりとある。
六本木ヒルズは、北海道のボクが住んでた場所から直線距離にして約800キロ。ちゃんとした道を通っていくと約1100キロにもなる。
東京に行く数ヶ月まえに、北海道から大阪に行った。
大阪にやっと馴染んできた頃、大阪とバイバイした。
北海道では居場所を作れなかったボクにとって、大阪はちいさな居場所を与えてくれていた。
偶然仲良くなった高校の先生や、いつも温かく迎えてくれた近所の居酒屋の人たち、美味しいたこ焼きに異国のように街並み、たずねたお城に古墳に。
大阪にある、あやゆるものが愛おしかった。
そんな大阪からクルマで15,6時間をかけ、東京に到着した。
ずっと下道で、途中少しだけ仮眠した。
静岡で大きな富士山を見たときは感動した。
だけど、これから拠点にしようとしている東京には知人も親戚も家もなく、仕事も決まっていないから不安のほうがずっと大きかった。
それでもちいさな夢があったから、そんなこといってられなかった。
とりあえず東京で仕事が決まるまでは、クルマで寝泊まりすることにした。
出稼ぎで貯めた、わずかばかりの貯金だけが頼りだった。
これが尽きたら居場所のない北海道に帰るしか選択肢がなくなる。
それはイヤだった。
苦痛がつきまとう日常より、希望としても解釈できる未知の不安のほうがマシだった。
東京に到着した日、所用を済ませるとボクはお台場に向かった。
そこに目的があるわけじゃないけど、聞いたことある地名のほうが、なんとなく親近感があったし、ほかに地名として知っている、新宿・渋谷・銀座・六本木なんかより、夜は落ち着いてるイメージがあった。
それにクルマで寝泊まりするボクにとって、記憶にあるテレビのお台場の道が広かった、ということも大事な要素だった。
到着した夜のお台場は、かなりイメージに近かった。
むしろフジテレビ付近だけが賑わっていて、あとは何もない街に感じた。
観覧車がぽつんとまわっているのも、なんだか寂しげだった。
とても悲しい気分になってしまって、思わず大阪の高校教師に電話をしてしまった。
コンビニで食事を済ませ、船の科学館が見えるあたりで寝た。
比較的静かな夜とちがって、朝になると交通量が多くなってしまうし、昼近くになるころには観光客が増えてしまうといった感じで居場所に困ったため、次の夜を待たずして千葉方面へと向かった。
千葉といっても、ディズニーランドがあるくらいのことしか知らなかったから、とりあえずそこを目指した。
夜、ディズニーランドと浦安駅近くのホテルを結ぶ道から海の方へ少しいった工業団地の路上にクルマを停め、寝た。
朝になると、トラックやフォークリフトがぼくのクルマのまわりをたくさん忙しそうに走ったり作業していた。
じゃまになってはいけないと思ったから移動した。
クルマを停められそうな場所を探しながら、デパートの本屋やホームセンターに行って時間を潰した。
ほうとうに何もすることがない。
ガテン系の求人誌からピックアップして電話したりするも、寮付きの仕事となると数が限られる。
都心にも行ったし、埼玉の外れにも行った。
だけど何より面接のない日が辛かった。
一歩も前進してない罪悪感と、いつも以上の不安で心が痛かった。
夜、スーパーのちかくにクルマをとめた。
工業団地からそう遠くない場所だった。
スーパーで安い弁当を買って食べ終わると、することがなくなった。
夜の8時か9時頃、ディズニーランドの花火がみえた。
あの花火の下では、たくさんの人が笑ったり感動したりしているのかなって考えたら、悲しくなった。
他人の幸せがただただ羨ましく、ただただ憎かった。
屋上から、人差し指くらいの六本木ヒルズがみえる。
あれから15年ちかくの月日が流れた。
いろんなことがあった。
屋上からの景色に、15年の全てが在る。
そして残ったのは、あの頃のようにひとりぼっちだけだ。